4姉妹、長女のK子です。
1月17日は1995年の阪神淡路大震災から23年。
今でもあのときの衝撃は忘れられません。
けさ、朝日新聞デジタル版で一番に目に飛び込んできた記事。
胸が熱くなりました。
抱きしめたけど救えなかった赤ちゃん
「看護師への原点」
(朝日新聞デジタル版より転載)
阪神淡路大震災から23年を迎えた17日、午後も追悼行事が続いていた東遊園地(神戸市中央区)。神戸市立医療センター中央市民病院の看護師、尾川華子さん(37)は夜勤前に立ち寄り、そっと手を合わせた。
自分の運命を決めた、名前も知らない赤ちゃんに向かって。
あの日。同市東灘区の自宅マンションの駐車場に避難すると、隣にあった文化住宅が倒壊していた。がれきをかき分けて生存者を捜す大人たち。「この赤ちゃん、温めてあげて!」突然、当時中学2年だった尾川さんに救い出されたばかりの赤ちゃんが手渡された。
小さな体はすでに冷たかった。抱きしめても抱きしめても温かくならなかった。赤ちゃんも母親も亡くなった、と後に聞いた。親子は出産のため里帰りしていたのだった。
「あの時、何もできなかった。だから、大人になったら、人を助ける人間になりたいと思ったんです」
高校を卒業し、看護専門学校を経て、兵庫県西宮市の病院に勤務。2005年4月には同県尼崎市で起きたJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、次々に運び込まれる負傷者を手当てした。この経験から「この職業を選んだ原点は救急医療だ」と改めて思い、翌年、兵庫県災害医療センターで勤め始めた。
救命救急の現場で経験を重ね、国際緊急援助隊に登録。フィリピンの台風被害(13年)やネパール地震(15年)で現地に赴いた。災害派遣医療チーム(DMAT)のメンバーにもなっている。
毎年、1月17日にはできる限り東遊園地に足を運んでいる。「助けてあげられなくて、ごめんなさい」。あの時の赤ちゃんに謝り、こう語りかける。「あなたが災害医療の道に導いてくれました。ありがとう」(高松浩志)
みんなに知ってもらいたいとの思いから、写真も記事もそのまま転載しました。
「看護師への原点」は一人ひとり違うと思いますが、心の底に流れる「人への優しい気持ち」は同じだと感じました。